忍者ブログ
22 May

4月末~今月中旬にかけて、自分の部屋の収納見直しをしました。
テキスト、本、資料、ノートが増えてきたので、
「これ以上増えてしまう前に、一度(それらの)収納を見直そう」
「思い切って本棚を買い替えよう」
と思ったのが始まり。
どうせやるなら……と、本棚だけでなく、
自分の部屋全体、もちろんクローゼットの中も、全部やることにしました。

最初にしたのは、本棚の購入。
アウトレットの家具屋さんやホームセンターなどを見てまわり、
大きさも色も納得の本棚に出会えました。
配送は約2週間後……ちょっと待たなくてはならないことに
その場では少し残念な気持ちになっちゃったけど、後から思うとこれで良かったのかも。
それと、特に考えがあってのことではなかったけれど、最初に本棚を買ったのも良かった。
どれくらいの大きさのものが来るかが分かった上で部屋の整理ができるし、
2週間後にそれがやって来るまで、ゆっくり片づけができるな、って。

部屋の整理をしていて、ふと子供の頃を思い出しました。
よく部屋の模様替えをしていたわたし。
2階の奥の、6畳の部屋を自分の部屋として使っていて、
その中でよく机やベッドの配置を変えることをしていました。
からだを動かして、案外頭も使って、それまでとはちょっぴり違う空間を作る、
そうやって自分は気分転換をしていたのかな……。
子供の頃によく部屋の模様替えをしていた、なんてこと、ずっと忘れていたけれど、
今回の片づけで思いがけず思い出し、“今”の体験、体感から当時の自分を想うことに。

クローゼットの中の物を全部出して、必要なものとそうでないものを分けていく作業は、
過去のいろんな時間や人、出来事に触れることでもありました。
わたしにとってそれは、ちょっと苦しい作業。
「わー、懐かしい!」とその“過去”につい夢中になってしまう、とはならない。
こころがざわざわしたり、まっすぐにそれを見ることができなかったりしながら、
一つひとつ整理していく。
見ることができるものとできないものの差、違い、
当時好きだったもの、大事にしていたものでも、
だいぶ“過去”となった今、苦い気持ちになるもの、
そういったこと、そういった自分に気づきながら、気づいてしまいながらの作業。

ゴールデンウィーク中のある日、部屋の片づけに必要な物を買うために
普段は行かないお店へ向かっていて、
途中、8年ちょっと前に母を入院させた病院の近くを通りました。
道に見覚えがあり、しばらくして
「ああ、やっぱりそうだ。あの病院へ行く道だ」
と分かりました。
息苦しくなりました。涙もこみ上げてきた。
運転席の旦那さんには悟られたくなくて、
気持ちが落ち着くまで、顔を左に向けて窓の外を眺めていました。
景色を見ていて、でも見ていなくて、
「今でもまだ苦しくなるんだなぁ」とか
「苦しいけれど、大丈夫な範囲内になったんだなぁ」とか思っていました。
こういったタイミングでその道を通ったことの“意味”のようなものも感じたりしていました。

「部屋の整理は心の整理」なんて言ったり「禅的掃除」なんてこと言われたりもしていて、
それらに今回わたしの思ったようなことが含まれるかどうかは分からないけれど。
部屋の整理、片づけって、場合によってはこんな風に“(苦い) 過去との対峙”であったり、
その過去に対する今の自分の状態や位置の“確認”だったり、そういったことにつながることがあるんだなぁ、これもまた自分のこころを見つめる作業だったんだなぁ、なんて。
わたしはそう思いました。

さて、収納見直しのほうは、というと……。
クローゼットの中はしっかり整理できたし、部屋はこれまでより大きな本棚をお迎えしたほか、
それほど高さのないラックにキャスターをつけたものを2つ用意したり、
壁に寄せて突っ張りパーテーションを設置したりして、
以前よりだいぶ広くて明るい(色の効果もあって♪)すっきりとした部屋になりました。
今回けっこう頑張ったー。
手に入れたこの部屋のすっきり感、キープしていきたいです。


PR

24 March

強がり混じり

彼の選択、彼の生き方は彼のものだもんね。
だから、わたしはそれをここから見守っていようと思う。

ただ、彼自身は、
そうしているのは自分、だとか、選んでいるのは自分、という風に思って
今のようにしているんじゃないと思うんだ。
そうして、もしかしたら出口がなくなっちゃってるかもしれないから、
もしそうだったら、とても苦しいよね、って思う。

いつか彼が自分から、まっすぐに声を発するときが来たら、
それをまだわたしに向かってしてくれるのなら、
そのときは「なあに?」と言えるわたしであるといいなぁ。
それまでは彼のこと、
こころの中で見守っていようと思う。
 



21 March

※「◯」がこの記事のタイトルです (・・。)ゞ

とても大切なものを見つけました。そして、今思えば、少し前からちょっとずつ、ゆっくりと、それを育てています。

それはまだ小さかったり、弱かったり、不安定さもあるけれど、わたしの中心にあるもののような、核のような、そんな感じがしています。
それでいて、わたしを包み込むことのできるものでもあります。

それを感じている時間や世界というのは、わたしにとって本当に安心感があるんだな、ということに、先日ワーク(ゲシュタルトセラピー)の中で確かに気づきました。「自分の居場所」という言い方も当てはまるかもしれません。
そこにいるとき、わたしはただただ“自分”でいることができます。何かに対して、誰かに対して、自分自身に対しての「良い」「悪い」は何もなくなっています。ふわふわの毛布にくるまれているみたいに、あたたかくて、心地良かったりもします。心が震えて、涙がこぼれてきます。自分の中に大きな力がわいてきます。

わたしにはこんな風に、自分の中に安心できる場所があることを知りました。

目を閉じると、それまで(目を開けている間)首のあたりに感じていた固さ、疲れの感覚が、
背中のほうに下りてきて、広がって、あたたかさ、エネルギーとして循環し始めました。
最近うまくできなくなっていた呼吸も、このときは自然にできています。
目を閉じたままでいるうちは、“大切なもの”をずっと感じていられそうです。

再び目を開けると、さっきまでは循環するあたたかさ、エネルギーだったものが
きゅーっと首に集まって、固まっていきました。
目を開けた瞬間から、もう疲れ始めています。

自分のからだ(筋肉の緊張)のパターンもひとつ見つけました。

「その安心の場所にいること、入ることは、withdrawal といって、大切にしていいんだよ」
と言われました。
withdrawal は「引きこもり」のことだけど、

「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」(厚生労働省)

のことではなく(意味合いとして重なる部分もあるかとは思うけど)。
たとえば、人と接するのがあまり得意ではなくて、
人の中ではだいぶ自分を緊張させ、疲れさせてしまうわたしだけど、帰ってきたら
自分の安心の場所に入る、withdrawal に充分時間を取る……それって大事なことだよね、と。
そうやって、何かのたびに毎回だって「戻って」きて、自分を確かめたり、取り戻したり、
新しいエネルギーを生み出したりもしていくのかなぁ。
withdrawal を大切にすればこそ、それ以外の時間が
より楽しかったり、頑張れたり、キラキラできたり、
自分にとって本当に良いものにしていけるということかもしれない。
だけど、その自分は無理をしているんじゃなくて、ちゃんと「自分」でありながら。

“大切なもの”を「育てている」「まだ小さかったり、弱かったり、不安定さもある」
と書きましたが、「育つ」というのが果たして
大きくなることや強くなること、安定することなのかどうかは分かりません。
ただ、これが育っていったときに、これの持つエネルギーがわたしの
自信=ありのままの自分、等身大の自分を信じることのできる力
にもなっていくのかもしれない……そんな予感がしています。

Contact with and withdrawal from the environment are the most important functions of the total personality.   Fritz Perls

環境に触れること、そして環境から引きこもることはパーソナリティ全体のなかで最も重要な機能である。  フリッツ・パールズ